西宮北口(にしのみや・きたぐち)ってどんな街?
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関西の住みたい町ランキング、トップは4年連続で西宮北口(にしのみやきたぐち)駅周辺だった。
西宮北口は阪急神戸本線の駅で、兵庫県西宮市(にしのみやし)にあるのだが、西宮の関西以外での知名度はビックリするほど低い。
私は子供の頃、西宮に住んでいたのだが、それを関東で話すと、西宮はあまりにも知られていない。
東隣にある尼崎(あまがさき)や、西隣にある芦屋(あしや)、北にある宝塚(たからづか)は知られているのに、西宮は全然だ。
しかし西宮には、全国的に知られている有名なモノがたくさんある街だ。
一番有名なのは、「甲子園球場」だろう。
甲子園球場は高校野球や阪神タイガースの本拠地だから、年間数十回くらい全国のテレビに映っているが、西宮市にある。
また古いプロ野球ファンなら、阪急ブレーブスの本拠地が西宮球場だと知ってるだろうが、これもやはり西宮にあった。
西宮球場は、阪急神戸線と今津線(いまづせん)が交わる西宮北口駅にあったのだが、現在は取り壊されて、跡地はシネコンや、ショッピングセンターになっている。
また毎年、1月10日に行われる「開門神事」(かいもんしんじ)も、東京のテレビで毎年報道されている。
開門神事とは、えびす神社の総本山である西宮神社で、毎年行われている「福男選び」の競争だ。
学校関係では、関西の私学では人気トップの関西学院大学(かんせいがくいんだいがく/かんがく)や、神戸女学院大学がある。
神戸女学院は、もともと神戸にあったのだが、昭和の初めに西宮に移転してきた。
また神戸女学院中学は中学受験でも最難関中学の一つで、卒業生は難関国公立大学に進学している。
住みたい街ランキング6位の「夙川」(しゅくがわ)も、西宮北口の一つ西の駅で、これも実は西宮市にある。
西宮北口周辺地図
阪神間モダニズム 阪神vs阪急 沿線開発競争
全国的には、芦屋が高級住宅地として知られているが、実は西宮の西部から神戸の東部までが高級住宅地ゾーンだ。
大阪と神戸の間を「阪神間(はんしんかん)」と呼ぶが、この地域は特に「阪神間モダニズム」と呼ばれる、西欧風の文化を取り入れた建物や施設が多い。
阪神間モダニズムが生まれた背景には、元々この地域で食品産業が盛んで、お金持ちが多かったことが挙げられる。
この地域には、灘五郷(なだごごう)と呼ばれる日本酒の名産地があり、江戸時代から日本酒と搾油業とで潤っていた。
現在も日本酒メーカーの本社(大関・白鹿・日本盛・白鶴・剣菱・その他多数)は西宮と神戸に集まっているが、酒造りや油製造と、製品を江戸まで運ぶ海上輸送ビジネスが盛んであったのだ。
そして明治になってからは、大阪で紡績業(繊維産業)が盛んになり、神戸も貿易港として大発展し、東洋一の港湾都市となっていった。
欧米の貿易商や日本にやってきた技術者達は、見晴らしの良い六甲山地の斜面に邸宅を構え、そこにヨーロッパの文化を持ち込んだ。
新しい外国の文化に引かれて芸術家や文化人もたくさん移り住み、古くからのお金持ちや起業家達も、それを真似て建物を建て、別荘を造った。
それだけなら単なる金持ちの道楽、舶来趣味で終わりだが、ここに阪神電鉄と阪急電車の激しい沿線開発競争が加わった。
というのも鉄道の利用客を増やすためには、鉄道に乗る理由がないといけない。
そのために阪神電鉄は、大阪タイガースを作り、甲子園に球場や遊園地を作った。
また六甲山に別荘地やゴルフ場などを作り、ロープウエイを建設した。
阪急も、宝塚線の利用客を増やすために、箕面に動物園を作ったり、宝塚に温泉と遊園地(宝塚ファミリーランド)や宝塚歌劇団を造っていた。
ただこれだけでは、鉄道は休日の物見遊山にしか使われず、利用客が増えない。
そこで阪神と阪急は、大阪や神戸で働く労働者やビジネスマンを誘致しようと考え始めた。
明治時代はまだ、労働者は職場の近くに住んで働くといった形だったが、「自然が豊かな郊外に住んで大阪で働く」という通勤ライフを提案し始めたのだ。
明治40年前後には、すでに大阪の大気汚染が酷くなり、ペストも流行って600人の死者が出たりしていた。
そのため、健康的な生活を求める人々を中心に、この「郊外に住んで大阪で働く」という通勤スタイルは受け入れられ、それが阪神間モダニズムに発展していったらしい。